出典元:FRIDAY
「酔っ払うとミナミの街にテポドンが落ちる」
そう呼ばれ、恐れられた男がいた。名前は吉満勇介(35)。大阪府大阪市中央区にある通称「ミナミ」と呼ばれるネオン街でその名を轟かせたアウトローだ。21歳で16店のガールズバーやセクシーキャバクラを経営し、ミナミの水商売のカリスマとして生きる中で、さまざまな伝説を作ってきた。
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現在発売中の初の著書『テポドン 大阪ミナミの「夜」の歴史を変えた暴れん坊』(講談社)から勇介氏の足跡を振り返る。(以下、〈 〉は全て著書内の勇介氏の発言より引用)
◆ひとりぼっちだった学生時代
‘86年10月に3人兄姉の末っ子として生まれた勇介氏は、小学校3年生の時に両親が離婚。母親に引き取られた。子供の頃は〈とにかく貧しかった〉と勇介氏は語る。時にはチキンラーメン1袋を子供3人で分けて飢えをしのいだこともあった。
そんな中、進学した西区の中学校でいじめに遭遇。これが大きな転機となった。
〈あるときから周囲の同級生グループが「四〇五、きっしょい」としきりに言っているのが聞こえるようになりました。「四〇五」とは「養護」の隠語で、簡単に言えば差別用語の一つです〉
勇介氏はこれを機に、西区の中学校へ通わなくなった。女手ひとつで3人の子供を養うため、母親は、昼はパート、夜はスナックで働いた。兄姉も学校へ通う中、ひとりぼっちで過ごす孤独な時間。それを埋めてくれたのは、喧嘩で知り合った隣の港区の中学校の仲間だった。
〈家庭の貧困、一人親、育児放棄。当時はそういう自分と同じ境遇の子たちが西区よりも港区に比較的多くいたように思います。身を寄せ合うと言えば大げさですが、港区の同級生たちとはどこかお互い共鳴するような部分があったと思います。はじめて本当の仲間ができたような気になって、嬉しくなったのは覚えています〉
この頃には酒の味も覚えた。初めてアルバイトもやった。高嶺の花だった先輩との恋も、そして失恋も経験した。
〈一緒にいてもあまりの緊張に手をつなぐのがやっとでした。当時はそれぐらいウブでしたし、本当に彼女が好きでした〉
だからこそ中学卒業後、彼女が5股していたことを知ったときはショックだったという。
〈このとき感じた女性への不信感は以降も消えることはなく、ミナミで働きはじめたころには「女は使うもの」と信じるようになっていました〉
◆21歳で16店舗を経営するカリスマへ
高校へは行かず、バイトに明け暮れる日々が続いた。居酒屋のキッチンやバー定員から〈自分の画力のなさに愕然とするしかありませんでした〉と語る彫師、そしてホスト……。しかし、どれも長続きはしなかった。焦りだけが募っていったという。
〈進学した同級生達への対抗心もありました。中卒だからこそ負けたくないという気持ちもありました〉
そして18歳を迎えたある日、勇介氏は本格的に大阪・ミナミという場所に足を踏み入れる。
働いたのは西川会長(仮名)という人物が取り仕切る水商売の店だった。キャストの女の子の精神面のフォローから、客とのトラブル、さらに暴力団との抗争などを乗り越える中で、メキメキと頭角を表していった。
「テポドン」の名前が付いたのもこの頃だ。仕事の疲れを酒や暴力で紛らせる中で、飲み方はどんどん豪快に、荒々しくなっていった。その様を見た仲間がつけたのが、二つ名の由来だ。
入店から半年後には店長に、その半年後にはオーナーに抜擢。西川会長の信頼も得て、21歳にして系列店計16店の経営を任されるまでになった。しかしその1年後、大きな落とし穴が待っていた。
〈グループの全体ミーティングの時でした。集まっていたメンバーを前に会長は突然「本日をもって吉満勇介を解雇処分にします」と告げました。何も知らされていない僕はもちろんパニックです〉
原因は密告だった。仕事で怒られたことを根に持ったスタッフの一人が、腹いせに「勇介さんが他の社長と結託して、会長に内緒で別の商売をしようとしている」とタレ込んだのだという。
〈職を失い、月に800万近くあった収入もパタリと途絶え、酒にギャンブルと散財していたせいで貯金もなし。まさしく乞食同然の状況でした〉
◆外国人不良集団との血の盃、警官50人との大立ち回り
裏切りにあい、再びひとりになった勇介氏だったが、4ヵ月後、西川会長から直々に「戻ってこい」と連絡を受ける。グループの経営が一気に悪化したことが原因だった。それからは空白の時間を取り戻すべく、ガムシャラに働いたという。
そんな中、不良外国人が集まったグループから身に覚えのないイチャモンをつけられ、呼び出される事件があった。ボスは勇介氏の3つ年上のイエールという人物。グループ同士の抗争に発展しかねない事態だったが、事は思わぬ方に転がった。
たった一人で相手の本部まで行った勇介氏は、その度胸を買われてそのイエールから「俺と兄弟分にならないか」と持ちかけられたという。
〈「ええな、それ」そう返事をすると、イエールは盃となるショットグラスを用意し、テキーラを注ぎはじめました。「お互いの血を混ぜて飲もう」そのまま乾杯するかと思いきや、イエールはナイフを取り出し、刃先をつけた親指から滴る血を僕のグラスに垂らし始めました〉
お互いに血を注ぐと、赤く濁ったテキーラを飲み干し、兄弟分としての契りを交わした二人。それからお互いのグループを総動員しての飲み会が始まった。宴会は夜更けまで続いたという。
仕事は順風満帆だった。24歳の時にはミナミのど真ん中にバーをオープンした。しかし、破滅の足音は少しずつ、だが着実に迫っていた。きっかけは些細ない喧嘩だったという。ただ、騒ぎを聞きつけてやってきた警察官10人ほどに取り押さえられた時に、弾みで一人を吹き飛ばしてしまったのだ。
「公務執行妨害!」
その言葉を聞いて、勇介氏は慌てて逃げ出したという。仲間からは「勇介、いま、そっちに何十人も警察が向かってる! すぐに逃げて!」と連絡が入った。何もわからぬまま、タクシーに乗り込み行き先を告げた矢先、警察官たちに取り囲まれた。その場には50人もの警察官が集まっていたという。勇介氏はその場で緊急逮捕。再び、全てを失ってしまうことになった。
◆結婚、懲役、NHK出演…ミナミを去った今、思うこと
警察官と大捕物を演じる数ヵ月前、勇介氏は経営する店のキャストの一人と恋仲になった。半年後には結婚し、息子も生まれた。しかし公務執行妨害で逮捕され、過去のトラブルなども含めて初めて実刑判決を受けることになる。3年半という懲役期間は、家族の歯車を狂わすには十分すぎる時間だった。最終的に刑務所を出所したのは31歳のとき。仲間も、家族も、仕事も失い、虚しい時間だけが流れていった。
そうした中、34歳になる年に、ひとつの依頼が舞い込む。『NHKスペシャル「半グレ 反社会勢力の実像」』の出演オファーだった。密着取材で見せた赤裸々な生活や飾らない素顔は大きな反響を呼んだ。
激動の人生を、勇介氏はこう振り返る。
〈逮捕には納得がいかなくとも、人生の半分をミナミで過ごしたことに後悔はありません。(中略)やれることはやった――。それがいまの正直な気持ちです。寂しさがないと言えば嘘になりますが、ミナミに未練はありません。それもこれも思う存分、ミナミを駆け抜けてきたからこその心境なのかもしれません。僕はミナミを去って、新しい人生を歩むことにします〉
人生の酸いも甘いも味わったミナミを離れ、新たな人生を歩み始めた勇介氏。伝説の第2章はまだ始まったばかりだ。
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私も気になってます。(^^)ゞ
どうかな???と思うけど。。。
前々から欲しい欲しいと思っていたから・・・
やっぱり気になるし、手に入れてみたいなあ。
わたしが気になっているのはコレ・・・
内容がはっきりしているので良いなと思うので。。。。
手に入れてみてもいいかもしれないな~